紫色の薄い皮をむくとその下から黄金色があらわれる。真白い湯気がたちのぼるそこへ噛みつくと、ほろりと口いっぱいに甘い味が広がる。芋!それはなんと偉大な食べ物であることか。
かつて目黒不動尊の近くに住んでいたことがあるのだが、そこでは毎年「甘藷祭り」というのがおこなわれていた。甘藷とはさつま芋のことであり、かつてさつま芋栽培を広め人々を飢餓から救った蘭学者の青木昆陽先生を称える祭りである。出店も出て(もちろん焼き芋や芋ようかんなんかもある!)、いつも大勢の人で賑わっていた。
そもそも、さつま芋というものは紀元前にメキシコで生まれ、その後中央アンデス地方で作られていたそう。日本には1600年ころ琉球から薩摩に持ち込まれてさつま芋と呼ばれるようになったのだとか。
ちなみに調べてみたら、さつま芋もじゃが芋も、かのクリストファー・コロンブスが新世界「アメリカ」を「発見」した際、ヨーロッパへ持ち帰ったものだという。さつま芋は涼しいヨーロッパでは気候があわなかったが、じゃが芋は風土にもぴったりだったようだ。いまや、イギリスのフィッシュアンドチップス、アイルランドのポテトパンケーキ、ドイツのクヌーデルと、ヨーロッパにおけるじゃが芋料理の存在感は半端ない。とはいえ、じゃが芋は聖書に書かれていなかったために、はじめのうちは、その白い花だけを鑑賞していたらしい。
しかし背に腹はかえられないし、腹が減っては戦はできぬ。
戦争中は、バッキンガム宮殿にもじゃが芋を植えて飢えをしのいだというし、日本でも太平洋戦争中の国会議事堂前は芋畑になっていたそうだから、芋、凄い。
確かに、芋類というのは、ぐんぐん伸びて、ざくざく実る。小学生の頃、理科の授業でさつま芋もじゃが芋も育てたが、土を掘れば面白いほどたくさん芋が採れて驚いた。いま、我が家のキッチンのかごの中でも、気づくと芋たちの芽が伸びてしまっているのだが。ちなみに、収穫した芋をコロッケにして食べたら、とてつもなく美味だった。
糖質制限ダイエットなんて言っている場合ではない。芋、美味しいし、食べるしかない。食べすぎておならが出るのもまたご愛嬌。
文と絵
小林エリカ
作家・マンガ家。『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で芥川賞・三島賞候補に。新刊は光の科学史を辿る『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)