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オードリー・ヘプバーン|時代を生きた女たち#116

幼くして両親の離婚を、10 代では過酷な戦争を経験して、戦後はバレエに打ち込んだ。しかし背が高くなりすぎてプリマを諦め、収入のために映画に出演。そこで待っていたのは「ローマの休日」の主役。あっという間にスターダムに登りつめた。でも心安らぐ家庭を築けたのは50代から。晩年、ユニセフの活動に奔走した理由は……。

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オードリー・ヘプバーン●1929~1993年

世界に愛された可憐な女優は、ストイックな強さを併せ持っていた

オードリー・ヘプバーンは、イングランド銀行のエリートだった父親が、ブリュッセル支店長の時に生まれた。一方、母親のエラはオランダ王家に連なる貴族の出で、広大な領地にそびえる城で育った姫君だった。最初の結婚で男児2人に恵まれたが離婚に至り、オードリーの父とは再婚だった。

そのためオードリーはベルギー生まれのイギリス国籍で、自意識上はオランダ人として育った。年の離れた異父兄たちには可愛がられたが、両親は不仲だった。激しい夫婦喧嘩が絶えず、オードリーが6歳の時に、父は家を出ていった。母は嘆き悲しみ、幼いオードリーは父に捨てられた衝撃を引きずった。

イギリス在住の父が娘に面会しやすいようにと、9歳でロンドンの寄宿学校に入学させられ、母と兄たちもロンドンで暮らした。だが結局、父が面会に来ることはなかった。

 

オードリーは元来内気なうえに、さほど英語が得意ではない。そんな状況で夢中になったのがバレエだった。母も娘の才能に期待して後押しした。

だが寄宿学校2年目に、第二次世界大戦が勃発。エラは、ヒトラー率いるドイツ軍が、イギリスに攻め入るのではと案じ、子どもたちを連れてオランダに帰国。アルンヘムという町にあった実家の館で暮らし始めた。

ところが、これは間違った選択だった。ほどなくしてドイツ軍の戦車が町を襲い、アルンヘムはナチス・ドイツの支配下に置かれたのだ。エラは財産を没収され、ナチスに従わなかった親類は銃殺。オードリーを可愛がってくれた異父兄も、強制収容所へと引き立てられていった。

母はナチスに対抗するレジスタンスに協力し、オードリーも子どもながら連絡係を務めた。また個人の邸宅などでバレエのミニ公演会を開き、密かにレジスタンスへの寄付を集めた。

 

大戦勃発から6年、ドイツ軍は若い女性たちを、手当たり次第に集め始めた。軍の施設や病院、強制収容所などの調理場で働かせるという。15歳になっていたオードリーも捕まった。ちょうどレジスタンスの暗号文を隠し持っており、見つかったら無事ではすまない。隙を見て全力で逃走。背後から銃弾が放たれたが、通りがかりの地下室に夢中で飛び込んだ。

そこはネズミが跋扈(ばっこ)する闇の世界だった。外にはドイツ兵の足音が響く。飲み水は確保できたようだが、食料は、たまたま持っていたパンとジュースだけ。オードリーは何日経ったかわからないほど、そこに潜んでいた。

外の様子を見計らい、力を振り絞って母のもとに帰った時には、3週間が過ぎていたという。栄養不足から重い黄疸や貧血などを発症し、命の危機にさらされた。

ほどなくして連合軍が反撃に出て、アルンヘムはナチスの支配から解放。オードリーは健康を害したまま終戦を迎え、国際的な支援を受けて回復した。

生活費のために女優業へ

エラは姫育ちながらも、財産を失ってへこたれるような、ひ弱な女性ではなかった。アムステルダムで料理人として働き、健康を取り戻した娘にバレエを再開させた。オードリー自身も、モデルやショーダンサーを務めて、レッスン料や生活費を稼いだ。

19歳でロンドンのバレエ学校に入学。厳しい練習に耐えて、実力は認められたものの、背が高くなりすぎていた。そのために男性ダンサーと組めなくなり、プリマ・バレリーナを諦めざるを得なくなった。

この頃からファッション雑誌を熱心に読んだ。自分の魅力を引き出す方法を模索したのだ。ブラウスもスカートも1枚ずつ、靴も1足しか持っていなかったが、スカーフは14枚も持っており、着こなしを工夫した。

映画の出演料がよかったために、演技の勉強もした。そうして2、3作に端役で出ているうちに、22歳でブロードウェイのミュージカルの主役に抜擢された。

 

ほぼ同時に最大のチャンスがめぐりきた。「ローマの休日」の主役だ。公開されるなり世界中で大ヒット。それまで無名だった女優が、突然、アカデミー主演女優賞を獲得し、一気にスターダムに駆け上がったのだ。

だがハリウッドの典型的な美人像というと、豊かなブロンドの髪に、グラマラスな体型。笑顔は、ちょっと大きめの口から真っ白い歯がこぼれ、全身からゴージャス感を発する。

オードリーは、すべてに外れており、そのため容姿にコンプレックスを抱いていた。痩せすぎて胸がない。顔の輪郭が四角い。鼻の穴が目立つなど。

たしかにバレリーナ時代の写真を見ると、平凡な印象が否めない。女優になってからも顔立ちは変わらないのに、段違いの魅力を発揮した。努力で欠点を個性に転じたのだ。

「世界一美しい目の持ち主」と絶賛されると、オードリーは「いいえ、世界一美しいアイメイクです」と答え、メイクアップ担当者に花を持たせた。

ファッションでもジバンシィの協力を得て、いっそうセンスを発揮した。「麗しのサブリナ」ではサブリナパンツを「ティファニーで朝食を」では背中の開いた黒いドレスをまとい、いつしかハリウッド映画が女性たちのファッションの教科書になった。

酒やドラッグにおぼれやすい映画界で、ストイックに演技に対峙した。それはバレエという自己鍛錬の世界にいたことや、過酷な戦争を耐え抜いたことと無関係ではない。厳しい体験がオードリーを強くしていた。

 

唯一の弱みは家庭だった。6歳で父親に捨てられた記憶のせいで、理想の夫を求め続けたのだ。そのために2度の離婚を経験した。

最初の結婚は25歳の時で、相手は俳優で映画監督。オードリーは仕事より家庭を優先し、夫に献身的に尽くした。スイスに別荘を持ち、待望の長男にも恵まれたが、14年で離婚に至った。

2人目の夫はイタリア人の精神科医。9歳下の美男で、性格は明るく、いつもオードリーを笑わせてくれた。ただ浮気性で、オードリーは次男を授かりつつも、また13年で破綻した。

そして7歳下の俳優兼プロデューサー、ロバート・ウォルダーズと出会った。彼は前の2人と異なり、オードリーを穏やかに支えてくれた。入籍こそしなかったが、ようやく心安らぐ伴侶とめぐり会えたのだ。

有名になったのは何のため

58歳で大きな転機が来た。たまたまユニセフの寄付を目的とした国際演奏会に、特別ゲストとして招かれ、公演後に「もっとユニセフのために何かしたい」と申し出たのだ。

同じような国際演奏会が東京でも予定されていた。オードリー人気は特に日本で絶大だったために、ユニセフ大使として最初に東京で寄付を募った。その効果はめざましく、「自分が有名になったのは何のためだったか、今やっとわかった」と語った。

その後も飢餓に苦しむ地域や紛争地帯を訪れ、世界中に支援を訴えた。かつて自分自身が命の危機にさらされ、国際的な支援を受けたからこそ、特に子どもたちの救済を求めた。

 

63歳の秋、ロサンゼルス滞在中に末期の大腸がんが発覚。オードリーは長年スイスの家を愛しており、そこで最後のクリスマスをと望んだ。ロバートはもちろん、息子2人も駆けつけて、家族で穏やかに過ごした。それがオードリーの生涯で、もっとも幸せなクリスマスになったという。

そして年が改まった1月20日、永遠の眠りについたのだった。

 

参考資料/山口路子著『オードリー・ヘップバーンという生き方』、イアン・ウッドワード著、坂口玲子訳『オードリーの愛と真実』など

Profile
植松三十里
うえまつみどり:歴史時代小説家。1954年生まれ、静岡市出身。第27回歴史文学賞、第28回新田次郎文学賞受賞。『時代を生きた女たち』(新人物文庫・電子書籍版のみ)など著書多数。最新刊は『レイモンさん 函館ソーセージマイスター』(集英社文庫)http://30miles.moo.jp/

トップの写真は、オードリーにゆかりのある、スイスの街並み。©Bim 肖像写真©Bettmann

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