草むしりをしていると、初めのうちは手が汚れるかもとか虫がいるんじゃないかとか、なんとなくびくびくしているんだけれど、だんだん全てがどうでもよくなって、ひたすらに集中できるようになる。
少しの草むしりなら、私は軍手をしない。鈍くなってしまうような変な感じがするから。
抜きたい草と残したい草を一瞬で選別して、力を入れて一瞬で抜く。わきのごみ袋に草がたまっていく。青臭いいい匂いがしてくる。腰は痛いし、腕は疲れるし。なのに楽しくなってくる。
土は温かくてなんとなくふわふわしている。この中でものすごい数の微生物が働いていると思うと気持ち悪くなってもおかしくないはずなのに、なぜか元気になってくる。だんだんきれいになる花壇が目に見えてしていることの結果を教えてくれる。
シャワーを浴びて一息つくと、子どもに戻ったような活気が両手に満ちている。
料理をしていると、最初は油の感触や肉の感触が気味悪く感じられる。ぐにゃっとしていたり、ぬるぬるしていたり。
でもひとつの目的を、この料理を作るんだという気持ちに集中していくと、だんだん泥団子をこねているようないい感じになってくる。この作業のひとつひとつが、食べたいお皿の上につながっていくんだと実感できる。
するとたまにひらめきが訪れる。待てよ、ぽん酢で食べようとしてるけれど、もしかしたら梅ソースのほうが合うんじゃない?だとか、肉をごま油じゃなくてオリーブオイルで焼いたら、こっちの野菜にも合うかもとか、そういうものが。
私の知人で、奥様がネットでレシピを見るといやがる人がいる。
「専門家のレシピならまだいいけれど、人の家の味を食べさせないで」と。
一見うるさいようだしめんどうくさいようなんだけれど、なんとなくわかる感覚なのだ。あのひらめきは現場で食材を手で触っていないと決して起きない、その日だけのものだから。
専門家のレシピは「それでプロになるまで極まったひらめき」でできているけれど、ネットに載っているものは各家庭の味。決して他の人には再現できないさじ加減でつちかわれた人の家のごはん。
私はたまに「人の家の味が食べたい、ああ、こんなに砂糖入れちゃうんだ!」などと楽しんで活用しているけれど、手のほうはやっぱり「自分のその日のひらめき」を支持している、そんな気がする。
PROFILE
よしもとばなな:1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著作は30カ国以上で翻訳出版されている。近著に『吹上奇譚 第三話ざしきわらし』(幻冬舎)などがある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。