友人の家の赤ちゃんは全く人見知りをしなかった。目が見えるようになってすぐくらいのとき、だれが抱っこしても、とにかくにっこりと笑ってくれたのだ。
そのにっこりを見ると全員がもっと笑顔になるから、その赤ちゃんとみんなの写真を見るといつもみんなものすごくいい顔で笑っている。そういうものだなあ、と思う。
笑顔を見れば、人は笑顔を返したくなる。その余裕があるとき、人生は明るく輝く。
そんな単純なことを、忙しかったり、不安だったりすると人はすぐ忘れてしまう。
雨が降ると人間の側は「うわあ、降ってきた、めんどうくさいなあ」と思うけれど、植物の喜びはものすごい。さっきまでちょっと乾いて枯れ気味だった緑がいっせいにつやつやになって、ぴんと張る感じがする。
あれを見ると、ああ、喜んでいるんだと思う。そんなとき緑だけを中心に街を見ると、街中から喜びの声が上がっているような色彩に満ちていて、たとえ自分は傘を持っていて荷物が多くて足元も濡れていても、少しだけ気持ちが上向きになる。
さらに思いをはせると、大雨が降っても傘もなく家もない人たちが地球上には必ず今この瞬間にも存在している。そう思うと、自分が平和な国で快適に暮らせていることへの感謝がわいてくる。人類がいろんなことを成し遂げてきた歴史を考えれば、飢餓とか貧困はなくなりそうなものだけれど、いっこうにそんな気配はない。だからこそ、今自分がこうして快適に暮らせていることのすごさは計り知れない。
植物が全身全霊で教えてくれる喜びの歌が、人の暗い心をちょっとだけ華やかにする。そんな小さな奇跡は、よく見ると人生のいたるところにあふれているように思う。
だから、ごきげんな赤ちゃんが全身で喜ぶような、木や草が久しぶりの恵みの雨にまるで蛍光色のような明るさを表現するような、そんな感覚を決して忘れたくない。
それは本能的なもので、理屈はない。ただ嬉しい、ただ心地よい、それだけのことなんだけれど、そこに全身で入っていける無邪気さのようなものをいつまでも失いたくないなと思う。
PROFILE
よしもとばなな:1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著作は30カ国以上で翻訳出版されている。近著に『吹上奇譚 第三話ざしきわらし』(幻冬舎)などがある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
イラスト/牛久保雅美