もう大きくなったうちの子どもが赤ちゃんだった頃、あまりにもよく寝ているので感心してしまって、よくほれぼれと眺めたものだった。
力が抜けていて、きっとこの子は夢さえも見ていない、そんな感じがした。
子犬や子猫にも同じことが言える。
ただただ無心に寝ている姿は、見ているほうの心をきれいにしてくれるような気さえする。
幼児だった頃の子どもを、一晩だけ実家に預かってもらったことがある。
決して近くないし迎えにいくのが逆に大変なので、めったにそういう機会はなかった。
私がいた部屋は物置になっていてもう使えないし、ひとりで寝かしておくにはちょっと心配な年齢だったので、子どもは生前の私の父といっしょに客間で寝ることになったそうだ。
翌日迎えに行ったら、父がしみじみと言ったのをよく覚えている。
「あの子はすごいもんだなあ、寝ているだけで空気がきれいになって、安心する感じがしたよ」
あの子は、というところは単なる孫びいきだよ、と私は思った。
私は知っていた。小さい子がすやすや寝ていると、それだけでなぜか空間が明るくなることを。
そうやって小さい子たちは、親のわずらいや家の重い空気を、生きているだけで吸い取ってくれてしまうものなのだろう。
だからこそ、親はあまりストレスをためてはいけないのだと思う。子どもはなにもしないで遊んでいるだけだから気楽でいいよね、などという人がいるけれどそんなことはない。子どもは見えないところで、いつも親を守ってくれようとしているものなのだ。
大人はそうはいかない。眠りや夢の中で、昼間のわずらいが渦を巻いて調整、解消されていくから、寝顔は苦しそうだったり、悲しそうだったり、重かったり。
でもそうやって調整できるからこそ、朝またすっきりと目覚められるのだから、ありがたいことなのだろう、無邪気じゃない眠りだって。
子どもや犬や猫がだんだん大きくなっていって、眠りが無邪気じゃなくなってくるのを見るのは切ない。でも、成長していくってそういうことだ。そんな自分だってもはやぐうぐうすやすやと無心に寝ていることはないのだろう。
いつかまた、この世を去る直前に、「もうやりとげた、悔いはない、眠りの中で調整すべきこともない。ただこの重くなってしまった体から解き放たれる日を待つだけだ」というときが来たら、自分の眠りがまるで赤子のように深く素直であることだけを願っている。
PROFILE
よしもとばなな:1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著作は30カ国以上で翻訳出版されている。近著に『吹上奇譚 第三話ざしきわらし』(幻冬舎)などがある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
イラスト/牛久保雅美