生まれて初めて骨折してしまった。
登山で弱っていた筋肉のまま、慣れない靴で夜道を急いで歩いて、派手に転んだのだ。足の小指のつけ根と、かかと。二カ所だったのでかなり長引いた。
これっぽっちの小骨が折れただけで、こんなにも全身に影響が及ぶなんて信じられない、と何回も思った。くっつくまで動かさない、それは当たり前のことだけれど、体の一カ所だけを固めて動かさないって、なかなか不自然なものだ。ふくらはぎあたりがじわじわと弱っていくのがよくわかった。
骨と共に免疫力が落ちると困るから、玄関でめだかに餌をやりながら日光浴をするというのをよくやった。
ギプスをしているから、足の指先以外はタイルに触れない。それでも、指先からじわじわと太陽の熱が伝わってきて、足全体が芯から温まる。
治るのが早まりそうな感じさえした。
ギプスが取れた日、これから噂に聞く長いリハビリ通いの日々だと意気込んでいたら、案外動けるからもう来なくていいよ、と先生に言われて拍子抜けした。
そして、ゆっくりと家まで歩いて帰った。
こんな近くにタクシーで行くなんて、と二カ月間ずっと思いながら通った道は、やっと自分の足で歩ける喜びできらきら光って見えた。空は曇っていたし、トラックがごうごうと音を立てて走っている大きな道路だったのに。
体中がミシミシいうし、骨折箇所は痛いし、ゆっくりしか歩けないし、自転車は怖いし。
それなのに私はなぜかにこにこしていた。まだまだかかると思っていた通院が終わったし、何より、これから少しずつでも歩けるようになっていくんだ!と思った。
右足を出して、左足を出す。それを続ける。そのことの中にどんなにたくさんの神秘が詰まっているか、五十数年も生きてきてほんとうには知らなかった。体は常に微妙にバランスを取っていて、全身でその簡単な動きを調整している。そのありがたみを踏みしめながら、味わうようにゆっくりと歩いた。
近所の店でコーヒーを買う。そんなことさえ三カ月もできなかった。体を少しだけひねってかばんから財布を取り出すことも、足のふんばりがきかないと大変なのだ。
骨折してらしたんですよね、とお店のお姉さんが言う。人づてに聞いて心配していたんですよ。
はい、やっとギプスが取れました。
そんな何げない会話も、家にいたらまったくできないから、嬉しかった。
いつか歩けなくなる日まで、ゆっくりと足たちとつきあっていきたい。足にとって心地よい過ごし方をして、うっかり骨折してしまったおわびをしてあげたい。
PROFILE
よしもとばなな:1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著作は30カ国以上で翻訳出版されている。近著に『ミトンとふびん』(新潮社)などがある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
イラスト/牛久保雅美