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時代を生きた女たち#4|ローレン・バコール

世界一の伊達男、ハンフリー・ボガートを変えた妻。だが25歳の年齢差は、若くしてバコールを寡婦にした。それからの長い生涯、残された子供たちを守りつつ、女優業を続けた。その間に2度目の結婚と離婚。さらに2度にわたる年下の男性との失恋と、子供たちの巣立ち。彼女の自伝は働く女の人生を語る。

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ボギーの妻という看板を背負った正統派美人女優

ローレン・バコール●1924〜2014

ローレン・バコールは1940年代後半から半世紀以上もの間、活躍したハリウッドの大女優だ。いわゆる可愛いタイプではなく、正統派の美貌で、声も低め。存在感を放つ存在だった。映画『カサブランカ』などで一世を風靡(ふうび)したボギーことハンフリー・ボガートと、20歳で結婚。11年半の暮らしの末に夫に先立たれ、悲劇の妻としても知られる。彼女には2冊の自伝がある。ゴーストライターの代筆ではなく、みずから書き下ろした書籍だ。50代なかばに『私一人』を、70歳を越えてから『いまの私』を出版。そこには仕事の責任を背負いつつも、家族を大切にしようと努力する姿が描かれている。

猛反対を受けた結婚

バコールはニューヨークの下町で生まれたが、6歳の時に両親が離婚。母のナタリーは事務や秘書をしながら娘を育てた。そんな姿を見ていたため、女性も働くのが当然と考え、早くから女優という職業を人生の目標に据えていた。ハイスクール時代には土曜日に演劇の専門学校に通い、高校卒業後は別の演劇学校に進学。劇場の案内係のアルバイトをしながらミスコンに出たり、モデルの仕事も始めた。

18歳でファッション雑誌の表紙を飾ったことで、ハリウッドの映画関係者の目に止まった。まずは立ち振舞やファッションセンスを磨かれ、甲高かった声もトレーニングで低く改められた。19歳で『脱出』という映画のオーディションを受けた。その時、緊張による震えを抑えるために顎を引き、上目遣いでカメラを見つめた。その眼差しが「ザ・ルック」と呼ばれ、バコールの魅力の代名詞となった。『脱出』の相手役が、25歳上のボギーだった。バコールは自分の演技に精一杯で、相手の台詞を聞く余裕もなかった。するとボギーは、アドリブで台詞を変えてしまう。玄関の呼び鈴で部屋から出ていくシーンでは、こう言った。「監督のアクションの声で出てくるのではなく、部屋で何をしていたかを考えるんだ」大げさな身振りで演技するのではなく、相手の言葉や役のシチュエーションに自然に反応すればいいと教えてくれたのだ。

たちまちバコールは恋に落ちた。だがボギーには3度の結婚経験があった。まして3人めの妻は夫婦不仲からアルコール依存症に陥っており、ボギーは哀れな妻を振り切ってまで離婚できない。自分自身も深酒した挙げ句、バコールを電話で呼び出す。そんな状況がわかっていても、バコールは愛しい男のもとに走った。母のナタリーも映画関係者も、周囲は全員、ふたりの仲に猛反対。バコールは売り出したばかりの大事な女優だし、相手は名うての中年プレイボーイだ。それでも反対を押し切って結婚。その後もボギーが朝帰りしたり、危うさが絶えない夫婦で、マスコミは今や遅しと離婚を待ち受けた。だが子供を授かると、ボギーが変わった。意外なことに優しいパパになり、息子のスティーブと娘のレスリーを慈(いつく)しんだのだ。しかし長年、ヘビースモーカーや深酒を続けたことで、すでに健康が蝕(むしば)まれていた。食道癌の大手術を受け、退院の際に言った。「結婚ってのは最高だってことを、みんなにも言ってやったのさ。これまでそんなことは考えもしなかったが、正直なところ、人生では女房と子供たちに迎えられることに勝るものはないってね」治療は手遅れだった。バコールは32歳で、8歳と4歳の幼子を抱え、最愛の夫を見送ったのだ。

家庭と仕事の両立

生前のボギーは妻の女優業を制限しなかった。むしろ映画会社とのつながりなど、ハリウッドで生きていくための知恵まで助言してくれた。それでもバコールにしてみれば、長く家を留守にはできず、遠方での長期に及ぶロケなどは断るしかなかった。ボギーが亡くなってからは仕事の幅を広げた。哀しみを乗り越えるためにも必要だった。しかしインタビューのたびに聞かれた。「ボギーが生きていたら、何と言ったでしょうね」バコールはボギーの付属物としか見られなかったのだ。

夫の死から4年後、2歳上の俳優、ジェイソン・ロバーズと再婚。男児を授かってサムと名付けた。ふたたびバコールは、みずから仕事を制限した。できるのは短時間ですむテレビのクイズ番組出演や、コマーシャルの撮影など。そういった仕事は映画より低く見られがちだったが、バコールは世間から忘れられまいと引き受けた。いい役柄や、いい監督からのオファーも来ることがあった。しかし、どうしても2、3ヶ月は家族と別れて暮らさねばならず、まだ末子のサムが幼かったこともあって、悩んだ末に断った。当時はニューヨークに住んでおり、ブロードウェイの舞台の仕事が舞い込んだ。歌は得意ではなかったが、努力してミュージカルにも出演。若い頃に案内係のアルバイトをしていた劇場で、堂々と主役を張ることができた。一方、ジェイソンとの仲はほころび、8年で離婚に至った。その後はブロードウェイだけではなく、地方公演にも積極的に加わるようになったが、家庭と仕事の折り合いは、なおも続いた。長男のスティーブが18歳になって、厳しい全寮制の高校を卒業することになり、バコールは卒業式への参列を望んだ。だが、その日は昼夜2回の舞台があり、ボストン近郊の学校まで出かける余裕がなかった。なんとか演出家に頼み込んで、昼間だけ代役を立ててもらい、ニューヨークからとんぼ返りして事なきを得た。バコールがボギーの付属物と見なされたのと同じく、スティーブはボギーの息子という立場に苦しめられた。だからこそ卒業式には立ち会ってやりたかったのだ。

ひとり娘のレスリーは37歳まで結婚しなかった。仲のよい母娘関係が長く続いただけに、結婚式の後で成人した子供たちから「今度はママの番だよ」と言われた。ジェイソンとの離婚後、2度、年下の男性と恋をしたが、どちらも実らなかった。2冊めの自伝『いまの私』では、ひとり暮らしの気安さと孤独感の両方を吐露しつつも、人生最後の恋は、まだ来ていないかもしれないと綴(つづ)った。

舞台女優としては中年以降に2度、トニー賞の主演女優賞を得たが、映画では72歳の時に、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされつつも、受賞は逃した。それでも生涯、女優業を愛し、84歳の時にアカデミー名誉賞を受賞。最晩年にはアニメの魔女役の吹き替えなども務めた。亡くなったのは89歳で、場所はマンハッタンのダコタハウス。セントラルパークが一望でき、ジョン・レノンやロバータ・フラックなど、著名人が暮らしたことで知られる高級集合住宅だった。

参考図書/『いまの私』ローレン・バコール著・永井淳訳、『私一人』ローレン・バコール著・山田宏一訳など


文=植松三十里

うえまつみどり:歴史時代小説家。1954 年生まれ、静岡市出身。第27回歴史文学賞、第28 回新田次郎文学賞受賞。『雪つもりし朝』(KADOKAWA)など著書多数。最新刊は『ひとり白虎 会津から長州へ』( 集英社文庫)。http://30miles.moo.jp/


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