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いくつ知ってる?スポーツトリビア[女性編&用具・ルール編]

からだを鍛えるのはもちろん、気持ちのリフレッシュにもなるスポーツ。そこで、実践するのも観るのももっと楽しくなるスポーツトリビアをご紹介します。

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●女性編
女性とスポーツの関係をひもとくと「へぇ~」の連続! スポーツが女性の社会参加と深く関わっている事実が見えてきました。
女性がスポーツを始めたのは花嫁修業のため

近代スポーツが生まれた19世紀、プレーをするのは男性ばかり。家庭を守る女性に運動は不要とされていたのです。しかし、上流階級の間でスポーツが広まるとともに、社交のために女性も少しくらいスポーツをしたほうがよいと考えられるようになりました。そこで、レディーのたしなみとしてテニスや乗馬を楽しむ女性が増えていったのです。
今では考えられませんが、元気な子どもを産むためのからだ作りという側面もあったようです。

「女性らしいスポーツ」以外は禁止されていた

20世紀初頭、女性がプレーできたのはテニス、ゴルフ、アーチェリー、水泳など、身体接触のない個人競技のみ。競う要素が強い団体競技などは“女性らしくない”とされ、参加が認められていませんでした。その後、女性の権利や社会参加の広がりとともに、種目が増えていきました。

女性用スポーツウエアの先駆者はココ・シャネル

テニスを楽しんでいた上流階級の女性たちですが、その服装はというと、ぞろりと長いドレスの上からコルセットで締め上げる、といった具合で動きやすさとは無縁。それを変えた一人が、ファッションデザイナーのココ・シャネル。いち早く多くのスポーツに親しんでいた彼女は、ジャージー素材のスポーツウエアで女性を“締め付け”から解放したのです。

国際舞台で男女平等に活躍できたのは2016 年
有森裕子さんや岩崎恭子さんらがメダルを獲得した、1992年のバルセロナオリンピック。女性アスリートが活躍した印象が強い大会ですが、女性選手の割合は「28%」。実は、3割にも達していませんでした。男女比にあまり差がなくなったのは、2016年のリオデジャネイロ大会。つい最近のことなのです。

大正ガールたちの憧れはテニス選手

明治時代に日本に伝わったテニスは、高等女学校の女学生たちの心をつかみ、1920年頃から急速に普及。当時の女子テニス選手は、女学生のアイドル的存在。女学生たちはファンレターを出したり、少女向け雑誌に選手をモデルにした小説を投稿したり。“推し”を応援したいという気持ちに時代は関係ないようです。

20年間も男装して活躍したポロ選手がいた

馬上からスティックで球をゴールに入れ合い、得点を競うポロ。1972年まで、全米ポロ協会は女性のプロ選手を認めていませんでした。その壁を破ったのが、スー・サリー・ヘイル。彼女は女性の参加が実現するまで男装して偽名を名乗り、20年間も男性として試合に出続けていたのです。

●用具・ルール編

記録や勝敗を左右する重要な存在である用具やルールは思いもよらないトリビアの宝庫です!

マラソンが42 .195kmになったのは王妃のワガママ?

マラソンの語源となった「マラトンの戦い」。ギリシャ軍兵士がマラトン~アテネ間の約40kmを走って勝利を告げたという故事にちなみ、オリンピック第3回大会までは約40kmに設定されていました。なぜ、中途半端な42.195kmになったのでしょうか。これには諸説ありますが、第4回ロンドン大会時、イギリス王妃が「スタート地点は宮殿の庭、ゴール地点は競技場のボックス席の前に」と注文をつけたため、という説が有力です。

回転レシーブはメイド・イン・ジャパン

バレーボールはアメリカ生まれですが、外国人選手と互角に戦おうと、小柄な日本人が多くの技を編み出しました。柔道の受け身を取り入れた「回転レシーブ」は日本女子、打つと見せかけブロックのタイミングを外す「一人時間差攻撃」は日本男子の考案。これらは今や世界標準の技となっています。

青い柔道着はフランス生まれ!?

すっかり定番の青い柔道着。カラー化に熱心だったのはフランス。柔道の発祥国である日本は反対していましたが、1998年から国際柔道連盟主催の大会で採用されています。実は、フランスは競技人口約56万人と、約15万人の日本の3倍以上。変化は自然な流れなのかもしれません。

キャッチャーマスクを剣道の面で代用していた
さまざまなスポーツが諸外国から伝わった当初、日本では用具が作られておらず、手に入れることが困難でした。たとえば野球では剣道の面をキャッチャーマスク代わりにして、ボールは鉛玉に革をかぶせたもの、バットは木を削ったものを使っていたんだとか。

バスケのゴールは桃を入れるカゴだった

スポーツは競技名が由来を示していることが多く、バスケットボールもその一つ。1891年、アメリカのある体育教師が冬の間に屋内でできるスポーツとして、箱にボールを入れ合うゲームを考えついたそう。ところが手近に箱がなく、桃の収穫用のカゴ(basket)を使ったのが始まりといわれています。

棒高跳びは木の棒にスルスル登ってから跳んでいた!?

ハイテク化が進む用具ですが、もとは原始的なものでした。たとえば、棒高跳びのポールはグラスファイバー製ですが、かつて欧米で使われていたのは木。弾力がないため、今のように使うと折れてしまいます。そこで、当時はポールに木登りのように登り、倒れる前にバーを飛び越していました。

 

 

教えてくれたのは...
鈴木楓太さん
京都先端科学大学 教育開発センター 嘱託講師。専門分野は、日本における戦時期のスポ―ツや戦前の女性の体育・スポーツ。日本スポーツとジェンダー学会理事。

イラスト/榎本直哉 取材・文/伊藤彩子

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