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兼高かおる|時代を生きた女たち#112

子供の頃のかおるはエキゾチックな容貌のせいか、学校に居場所がなかった。終戦後、アメリカに留学し、ようやく居場所を見つけたものの、途中で体をこわして帰国。だが語学力と思いきりのよさで、みずから華やかな人生への扉を開いた。それからは家を留守にして世界を駆けめぐりつつも、家族への思いは心に秘めていた。

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ブラジルのサルバドル。窓辺からカラフルな街並みを望む。©Deve Vargas

兼高かおる●1928~2019年
海外渡航が夢だった時代に世界を紹介し続けた国際人

「兼高かおる世界の旅」は、1959年12月から30年以上も続いた人気テレビ番組だ。兼高かおる自身が世界各地を訪れ、その魅力を伝えた。

同行するのはカメラマンとカメラ助手のみ。かおるはレポーターのみならず、プロデューサー、ディレクター、帰国後はフィルムの編集までこなした。さらにはアナウンサーの芥川隆行と掛け合いで、ナレーターも兼任。訪問先は世界160カ国に及んだ。

居場所のなかった子供時代

後年はトラベルライターとしても活躍したため、多数の著書がある。だが主に紀行文で、自伝的な本は少ない。神戸生まれの東京育ちだが、特に子供の頃のことは、わずかしか書かれていない。まして母親や兄は出てくるのに、父親に関する記述がない。

かおるは生前、父親については、何も語らなかった。身近な人でも聞いた者はいない。ネット情報によると、父親はインド系のイギリス人で、貿易商だったとされている。だが外交官だったという説もあり、そちらの方が信憑性は高い。

今になっては確かめるすべはない。ただし彼女のエキゾチックな容貌からしても、父親が外国人だったことは事実だろう。

 

かおるの幼少期、満州の統治をめぐって、日本とイギリスは対立を深めていた。もし父親がイギリス国籍であったとしたら、そういった国際関係の悪化が影響して、家族が離別せざるを得なかったのかもしれない。かおる自身、父親のことを母にたずねるのははばかられたようで、何も知らなかった可能性もある。

母親の実家である兼高家は、東京の資産家で、母と兄とかおるの三人は、そちらを頼って神戸を離れたらしい。夏には軽井沢の瀟洒(しょうしゃ)な別荘に、避暑に行くような暮らしぶりだった。

しかし学校は居心地のいいところではなかった。門がバタンと閉まって外で泣き声がすると、母は「また、かおるさんが喧嘩して友達を泣かせ、逃げ帰ってきたのだろう」と思ったという。ただ母は叱らなかった。

本人は「それほどお転婆な子供だった」と自著に書く。しかし日本人離れした容貌や、まして父親がいないことで、揶揄されたり意地悪されたりして、喧嘩になったのは想像に難くない。母としては娘の正当性を信じていたからこそ、叱らなかったのだろう。

女学校は英国系のミッションスクールに進んだが、そこにも居場所はなかった。頑張りは評価されず、勝ち気は反抗的と見なされた。ただ英語の授業は好きだった。

 

かおるは生涯で一度だけ「結婚したい」と、母に告げたことがあった。相手は中国からの留学生で、人柄もよく、特別な家の出だと想像がついた。何事も自由にさせてくれる母が、その時ばかりは許さなかった。外国人との結婚は国際情勢によって、あっけなく引き裂かれかねない。自分が経験したそんな危うさを、娘にまで背負わせたくはなかったのだろう。

女学校卒業の5カ月後に終戦を迎え、何もかも価値観が変わった。かおるは英語の勉強のつもりで、進駐軍の鉄道輸送司令部に手伝いに通った。

 

そして、26歳のときに日本を飛び出した。ロサンゼルス市立大学に留学を果たしたのだ。そこは別天地で、生まれて初めて「ひいきされる」という経験をした。留学生のかおるのことを、教授が何かと気にかけてくれたのだ。日本では異質だった容貌も違和感なく、ボーイフレンドもできた。

学生生活を楽しみながらも、膨大な予習復習は欠かさず、懸命に授業についていった。しかし、その頑張りが裏目に出た。以前から丈夫な方ではなかったが、無理がたたって体をこわし、帰国を余儀なくされたのだ。

かおるは自著の中で、けっして泣き言は書かない。あの時、帰国したからこそ後の成功があるのだと、前向きにとらえている。でも当時としては、ようやく見つけた居場所だけに、その無念さは計り知れない。

 

帰国後は来日した外国人のインタビューを始めた。するとジョセフ・カボリーというアメリカ人が、90時間を切る世界一周早まわりを達成して来日。その歓迎の花束贈呈役を頼まれた。

その直後、東京とコペンハーゲンを北極まわりで結ぶ航路を、スカンジナビア航空がスタートした。かおるは、これを使えばカボリーの記録を塗り替えられると気づいた。ちょうどその頃『八十日間世界一周』というハリウッド映画が大ヒットし、かおるは80時間世界一周に挑戦。東南アジア、パキスタン、ヨーロッパとまわり、アンカレッジ経由で東京へ。プロペラ機が遅れるたびに気をもみ、機内では寝る間も惜しんで紀行文を書いた。そして、とうとう73時間あまりで新記録を達成したのだ。

羽田空港には驚くほどの報道陣が待ち構えていた。これによって、かおるは華やかな人生の扉を開いた。

崖から落ちてもいい覚悟

大学ノート2冊分の紀行文は週刊誌に連載され、ラジオ番組の仕事も舞い込んだ。海外に詳しい著名人をスタジオに招いて、かおるがインタビューするという形式だった。

まもなく時代はラジオからテレビへと移り、31歳で世界一周のテレビ番組を任された。取材予定120日分の膨大な予算を預けられ、カメラマンたちとともに、盛大な万歳三唱に送られて旅立った。

テレビ局からは、とてつもない重圧がかかっていたはずだ。しかし、かおるにはプレッシャーよりも期待が大きかったという。始める前に「できない」と尻込みするのではなく、一歩踏み出して、たとえ崖から落ちてもいいという覚悟だった。

前例のない取材だけに、教えてくれる人はいない。当然ながらシナリオもない。現地で車を走らせて、かおるの感性に触れるものがあれば、即座に停め、その場にいた人に話を聞く。今でこそ、そういう番組がないではないが、60年前のことだ。

番組はレギュラー化し、さらに「兼高かおる世界の旅」という冠番組へと成長した。視聴者にとって海外渡航など夢の時代。憧れのヨーロッパやアメリカのみならず、見たこともないアジアやアフリカの国々に、毎週、胸をときめかせた。

 

番組が続くにつれ、テレビ局は次々とカメラマンを交代させた。ひとりでも多く、海外取材を経験させたかったのだ。取材中は昼食抜きは当たり前。かなり危険な目にも遭った。砂漠のただ中でタイヤが砂に埋まり、車を押して歩くうちに日が没し、闇の中で方向がわからなくなったこともある。気球のゴンドラが横向きになって、落ちそうになったことも。

そんな中、かおるが激怒したカメラマンがいた。プロ意識に欠けた言動が続いた挙げ句、撮影前夜に深酒して、集合時間に現れなかったのだ。かおるは常に真剣であり、いい加減な態度は許せなかった。

年の半分は海外となり、自分では気づかなかったが、帰国すると、顔つきも話し方も険しくなっていたという。伯父からは「すっかり雰囲気が変わってしまって嫌だ」と言われた。母が60歳を過ぎた頃には「座って娘と話もできない」と嘆かれた。

事情を知らない人からは「外国に行って、美味しいものを食べて、偉い人に会えてうらやましい」と言われた。番組が30年以上も続くと、かおるを当初から支えてくれた世代が亡くなり、理解してくれる人は少なくなる一方だった。

中休みが欲しいという意味で「中止してください」と申し出ると、それが終了につながった。海外渡航が夢ではなくなり、テレビ局としては番組の使命は果たしたという判断だった。

 

それからも、かおるは世界各地を飛びまわり、映像ではなく文章で、海外の様子を伝え続けた。かおるならではの視点で、日本に知られていない魅力的な場所も、たくさん紹介した。

生涯、独身を通した。母が完璧な家庭人だっただけに、自分にはできないという思いが先に立ったのだ。まして家庭と両立できる仕事ではなかったし、そういう時代でもなかった。その母も番組終了の2年後に他界した。

かおるは悩みや弱音をはかなかった。嫌なことは旅の中で昇華していたのだろう。ただ、秘書など身近な人たちには「家族を大事にしなさい」とか「早く子供をつくりなさい」とか、たびたび口にしたという。家庭を築かなかったことへの悔いを、周囲は痛いほど察していた。

父のことを知りたいという秘めた思いが、かおるの足を終生、世界に向けさせたのではないだろうか。

 

[参考資料]兼高かおる著『わたくしが旅から学んだこと』『スーツケースのティー・タイム』、兼高かおる・曽野綾子共著『わたくしたちの旅のかたち』など

Profile
植松三十里
うえまつみどり:歴史時代小説家。1954年生まれ、静岡市出身。第27回歴史文学賞、第28回新田次郎文学賞受賞。『梅と水仙』(PHP研究所)など著書多数。最新刊は『レイモンさん 函館ソーセージマイスター』(集英社文庫)http://30miles.moo.jp/

世界一周~World Gallery~

アジア、ヨーロッパからアフリカ、アメリカまで。写真で世界をぐるりとめぐりましょう!

世界一美しく住みやすい街といわれるオーストラリアのパース。
地元の人たちが集うキングスパークからの眺め。©imagevixen

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イタリアの水の都、ヴェネツィア。
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海と山に挟まれた南アフリカのケープタウン。©Chris Tobin

ブラジルのサルバドルは人口の80%がアフリカ系で、独特のエキゾチックな雰囲気がある街。
旧市街は世界遺産に認定されている。©aflo

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