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時代や地域によって変遷した 江戸時代の白粉(おしろい)|美容史#8

教科書には載っていない、知られざる美容の歴史を紹介します。

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時代や地域によって変遷した江戸時代の白粉(おしろい)

江戸時代の日本女性の化粧法は、現代とは比較にならないくらい、限定されたものでした。水銀あるいは鉛を原料とした白粉を顔に塗って、唇に紅を差すだけです。

しかし「白塗り」とひと口にいっても、白粉の種類や塗り方、そして時代・地域によって大きな違いがありました。白粉は粒子が細かいほど高級で、3つの等級にわけられて販売されていたのです。

どんな塗り方をキレイとするかには地域差がありました。現代でも華やかでしっかりとしたメイクが好まれるイメージのある関西ですが、江戸時代を通じて関西=上方では、白粉は厚塗りが主流。顔より首筋などを、より濃く塗るのがオシャレとされたそうです(『守貞謾稿』より)。

一方、江戸時代の江戸では時代によって、好まれる白粉の塗りは変わりました。江戸時代初期では白粉は薄めに塗るのが粋。素肌感のある化粧が喜ばれました。しかし、江戸時代も中期〜後期となると、江戸の庶民も経済的に豊かとなり、化粧品にお金を使うことができるようになります。すると女性の楽しみの一つとして、白粉の塗りは年々、濃くなっていったのですね。

 

そんな庶民のプチ贅沢に幕府は怒り、倹約を理由に厚化粧を禁止してしまいます。それ以降、庶民の化粧は薄くなりました。しかし、制約を逆手にとったのか、幕末ではハレの日ですら白粉などまったく塗らず、素肌で通すのが江戸っ子の粋になっていったというのですから、面白いものですね。

 

 

Profile
堀江宏樹
作家、歴史エッセイスト。古今東西の恋愛・生活文化に造詣が深く、多数のメディアで執筆。著書に『愛と欲望の世界史』『ときめく源氏物語』(共に王様文庫・三笠書房)など。原案監修をつとめる「La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~」が無料公開中。

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